数千年前の火山の噴火で誕生した
不思議なカタチ。
世界も注目するこの
二重式カルデラ火山*の島は、
巷でこう呼ばれてきました。
* アメリカのNGO/One Green Planetの
死ぬまでに見るべき世界の絶景13」に、
唯一日本から青ヶ島が選ばれました。
神のご加護がないと辿りつけない島___。
その所以は、厳しい自然環境にあります。
黒潮の真っただ中にあり、
断崖絶壁に囲まれた急峻な地形のため
浜辺や入り江はなく、
桟橋はあっても
外洋の荒波が張り込んで
船が接岸しにくくなっているのです。
現在も、フェリーの就航率は
5割を切っています。
八丈島から出ている
9人乗りのヘリコプターが、
最も確実な輸送手段。
それでも、
濃霧の時には飛ばないことも多いのです。
青ヶ島? 鬼が島?
神さまが与えてくれた贈りモノ。
似ている響きには理由があります。
青ヶ島には、桃太郎に退治された鬼たちが流れついたと言われる「鬼ヶ島伝説」が残っています。
また、鎌倉時代の「保元物語」には、伊豆諸島に島流しになった源為朝が鬼ヶ島を見つけたとの記述があり、この鬼が島が青ヶ島ではないかと言われています。
青ヶ島が現在のような姿になったのは、江戸時代の1785(天明5)年に起こった「天明の大噴火」によるものです。
この大惨事により、島民200人あまりは八丈島へ全島避難を余儀なくされ、青ヶ島は無人島と化しました。
青ヶ島へ帰りたい……!
青ヶ島には、桃太郎に退治された鬼たちが流れついたと言われる「鬼ヶ島伝説」が残っています。
また、鎌倉時代の「保元物語」には、伊豆諸島に島流しになった源為朝が鬼ヶ島を見つけたとの記述があり、この鬼が島が青ヶ島ではないかと言われています。
青ヶ島が現在のような姿になったのは、江戸時代の1785(天明5)年に起こった「天明の大噴火」によるものです。
この大惨事により、島民200人あまりは八丈島へ全島避難を余儀なくされ、青ヶ島は無人島と化しました。
青ヶ島へ帰りたい……!
多大な苦難を経て、その悲願が実現したのは、それから約50年後。
先代たちの青ヶ島への強い思慕は今も脈々と島民の間に流れており、青ヶ島愛を育んでいます。
青ヶ島は、作物がよく育ちます。米以外は自給できます。
器用な島の人々は、何でも手づくりします。
家だろうが船だろうが、焼酎工場の機械だろうが自分たちでつくってしまいます。
高い岸壁が強風を守り、地熱で冬も暖かく過ごせます。
月のない夜には、空には降るような星が輝きます。
それは、まるで、神さまが苦難の歴史を辿った青ヶ島民たちだけに特別に与えてくださった贈り物。
先代たちの青ヶ島への強い思慕は今も脈々と島民の間に流れており、青ヶ島愛を育んでいます。
青ヶ島は、作物がよく育ちます。米以外は自給できます。
器用な島の人々は、何でも手づくりします。
家だろうが船だろうが、焼酎工場の機械だろうが自分たちでつくってしまいます。
高い岸壁が強風を守り、地熱で冬も暖かく過ごせます。
月のない夜には、空には降るような星が輝きます。
それは、まるで、神さまが苦難の歴史を辿った青ヶ島民たちだけに特別に与えてくださった贈り物。
Photo by M.Harada
青ヶ島・尾山展望公園からの夏
撮影:井川俊彦©
青ヶ島・尾山展望公園からの冬
撮影:井川俊彦©
八丈島から遠くに見える、
真っ青な島、青ヶ島。
外と隔絶された島と外とをつなぐ「窓」ともなっているのが、ヘリポートです。
朝、島への到着便を待つ間はちょっとしたサロンです。
空のかなたの、かすかなヘリコプターのプロペラ音に最初に気づくのは子どもたちです。
「あー、ヘリだー」の声に、「きょうも定刻だな」と機影すら見えない空を見る大人たち。
誰かが来て、誰かが発ってゆく。
ワクワクするようなちょっとさびしいような感情が辺りを満たします。
朝、島への到着便を待つ間はちょっとしたサロンです。
空のかなたの、かすかなヘリコプターのプロペラ音に最初に気づくのは子どもたちです。
「あー、ヘリだー」の声に、「きょうも定刻だな」と機影すら見えない空を見る大人たち。
誰かが来て、誰かが発ってゆく。
ワクワクするようなちょっとさびしいような感情が辺りを満たします。
ヘリが到着し、降りて来る搭乗者に友だちを見つけた島の子どもたちは一目さんにかけ寄ります。
膝をついて待つおじいちゃんの腕の中に飛び込む子もいます。
ヘリが飛び立つと、窓にはりつく顔に向かって、村人たちは大きく手を振ります。
帰って来る日まで、また会う日まで。
八丈島から見える真っ青な島。
それが、青ヶ島です。
膝をついて待つおじいちゃんの腕の中に飛び込む子もいます。
ヘリが飛び立つと、窓にはりつく顔に向かって、村人たちは大きく手を振ります。
帰って来る日まで、また会う日まで。
八丈島から見える真っ青な島。
それが、青ヶ島です。